楽器を初めて演奏する人は、吹奏楽から始める人が多い。
そんな話をよく耳にします。
実際、ソロやオケ、アンサンブルでは、
1人1人の演奏者の技量がダイレクトに演奏に関わります。
例えばオーケストラのホルンでは、席順ごとに役割が異なります。
パート全体で演奏する事もありますが、
個人個人が、ソロとしてオケ全体とアンサンブルするような場面も出てくるから、
個人の音楽性や、高い技量を求められる場面もあります。
他の楽器でも同様です。
そもそもの人数が少ないアンサンブルや、ソロでも、同じ事が言えます。
一人一人の音や完成度が、
楽曲全体の質に関わってくるため、
そういう意味で、オケやアンサンブル・ソロはやりがいがあるし、
その分、難度が高いとも言えます
一方で、吹奏楽では、
例えば、
高校の吹奏楽部からは楽器を始めた部員でも、
既に演奏してきた経験者の中に混じって吹奏楽の楽曲を演奏すると、
ソロとして目立つ部分が少なく、
パート全体として演奏する部分が多いため、
良い塩梅に音が混じり、
全体の音が良い感じで聞こえる事が起きます。
これはもしかすると、
オケの楽曲と、吹奏楽の楽曲の違いも関係しているかもしれません。
オーケストラでよく演奏されたり、好まれている楽曲は、
近代の作品より、
数十年前~数百年前の古典派、ロマン派といったものが多い為、
この頃の作品は概ね、
先ほど言ったような高度な技術やアンサンブル能力が必要な場合が多いんですね。
一方で、日本の吹奏楽では、
近代的な作品や、ポップスやジャズの楽曲も人気が高く、
楽曲的に「パート全体で演奏する」という部分も多かったりするため、
良い意味で「演奏が平均化」する事があります。
全体の演奏レベルが平均化されるので、
一人一人の「粗が分かりにくい」という場合もあります。
だからと言って、
吹奏楽の楽曲のクオリティがオケより下である、なんて事ではないです。
オケも吹奏楽も、それぞれの良さと魅力があり、
楽器の活かし方も、楽曲のつくりも違います。
フルコース料理に憧れる事もあれば
近所の定食屋の「お母さんの味」が恋しくなる時もあるように
オーケストラも吹奏楽も、
どちらも多くの人を魅了する力があります。
ただ、どちらかといえば吹奏楽の方が、
楽器初心者の人でも、演奏で混ざりやすい土壌がある、と思えます。
昔、先生に
「10人のラデク・バボラークのホルンアンサンブルに、1人の素人が入れば、それはもう10人のバボラークのアンサンブルの音ではなくなる」
と言われたことがあります。
ラデク・バボラークとは、世界でも指折りの実力あるホルン奏者の方ですが、
当時の僕は、この言葉を、
「上手い人とアンサンブルをするためには、
自分も、その人が目指す音楽を理解し、支えられる実力を持たねばいけない。」
という風に捉えていました。
それ自体は、事実です。
良いアンサンブルを作り、良い演奏をするためには、
そのアンサンブルを支えられるだけの技量を身に付ける必要はあります。
しかし一方で、上達する為には、
粘り強い練習と時間が必要になります。
「上手くなりたい」と今すぐ願って上手くなれるのなら、
悩みはしませんよね。
時間をかける最中、
上手くなっていく途上では、
思ったように演奏出来ず、
自分が足を引っ張っているのではないかと、
不安になる事もあるかもしれません。
それでも、あわてなくても良いと思うんです。
「互助の精神」という言葉があります。
「互いが互いを助けあう」という意味を持つこの言葉が、
僕は、演奏の中にもある気がするのです。
特に吹奏楽は、
ソロというより、パート全体で
1つのフレーズを演奏する場面が多いから、
演奏者の心が1つとなりやすいし、
エネルギーも演奏に込めやすいように思えます。
吹奏楽を聴いていて
心地よい疲れが演奏を聴いた後に残るというのは、
奏者のエネルギーを、お客さんたちの届けられた証かもしれません。
学校の吹奏楽部でも、
演奏を経験してきた上級生の先輩が
初めて楽器を吹く初心者の後輩のため、
一緒に演奏する事で手助けすることが出来るのは、
互助の表れの1つかもしれません。
オーケストラやアンサンブルであっても同様です。
隣人と、どんな風に付き合うかは自分に選択肢があります。
オケやアンサンブルは、
確かにソロの部分が多く求められる技量は高いですが、
「互いの音を聴きあい、音を合わせる」という点で、
互いの音を助け合う環境もあるのです。
互いの技術を競い合うだけではなく、
互助の精神を持ち、
互いの演奏を助け合う人として演奏に臨む。
そんな風に目標を持つのも良いのではないでしょうか?
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