時には「がむしゃら」になっても良い?

もしあなたにお子様がいて、
その子が何か楽器を演奏していたとして、

その子が楽器を一生懸命に
練習している姿を見ると、

たとえ、
技術的にも、音色的にも
まだまだであっても、
 
 

聞いていて心が動かされるのは、

一生懸命に演奏しようとする
「がむしゃらさ」が、胸を打つからかもしれません。

 
 
 
 
人は、
なにかに一生懸命頑張ったり、
がむしゃらにでも、何かをしようとする人を見て
 
心が打たれ、感動を覚えることがあります。
 
 
 
 
これには、
心理学的な同一化や、
遺伝学的なメリットによるものだと言われていますが、
 
これを説明すると複雑なので、
今回は省きます。
 
 
 
 
ただ、
 
何かに一生懸命になれるというのは、
自分にも活力が生まれる行為だし、
 
 
その何かに、
たとえ自信が無くとも、
 
それに向けてがむしゃらになる姿は、
 
時として、
勇気付けられる人や、
励まされる人が居る。
 

 

という事なんです。

 

だから、

やりたいことがあるという事や、
夢中になれる「何か」がある、というのは、

とても価値があることなんです。

 

 

でも「がむしゃらさ」とは、

本来、
自然に一生懸命になれる事から
生まれるモノです。

 

無理に頑張ったり、
やりたくも無い事に
がむしゃらになるというのは、

自分に対して、悪影響になります。
 
 
 
 
例えば、
・一生懸命に演奏する事
 
 
その理由は、
 
 

自分が出来ていないから、
とにかく足を引っ張らないように
懸命に演奏しようとするからでしょうか?

それとも、

演奏する為の目標があり、
懸命に、そこに向かいたいからでしょうか?

 

 

この2つは、
どちらも「がんばろうとする理由」として存在しますが、

それぞれに明確な違いがあります。

 

 

前者は、

・追い詰められ、
自分の課題克服しか考えられない状態

これを脱する為に頑張ろうとする、
いわば【焦り】からの動機で頑張ろうとして

 

そして後者は、

自分のやりたい事に目を向けつつ、
視野が広く保てる状態

いわば【望む未来に向かう】為の動機から生まれている、

という違いです。

 

 

自分を追い詰めたり、
追い込んでしまうやり方というのは、

自然と余裕も無くなっていき、
頑張るほどに、自分に悪影響を与えてしまうやり方です。

 

 

だから、個人的な考えですが、

僕は、何かをがむしゃらに頑張るならば、
その理由として持つべきは

・目指したいゴール

に根差した理由であって欲しいと思います

 

頑張り続ける事が、
自分自身を苦しめてしまう事になったら、
それは悲しい事だと思うんです。

でも、
自分が理想とするものや、
実現したい望みがあり、

そうしたゴールに向けて頑張れることは、

自分自身の成長につながります。

 

 

だから、
もし何かに頑張るのなら、

自分を追い詰めてしまう頑張り方ではなく、
自分の成長につながる頑張り方を、

僕はお勧めしたいです。 

 


★☆演奏がもっと上手くなるための
電子書籍を無料プレゼント!☆★

 

これまでのレッスンでも効果があった、

緊張を味方につける方法・演奏をレベルアップさせるコツ・演奏する自信を取り戻すやり方など、

コンテンツをまとめた電子書籍を、期間限定で無料プレゼントしています。

すでに500名以上の方にお読みいただいているレポートです。

緊張に悩んでいたり、更なるステップアップをしたいと思っている方や、

もう1度演奏する楽しさや感動を取り戻したいと感じている方は、ぜひ手に取ってみてください。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください