学校の授業で歌ったり、
あるいは友人達とのカラオケを楽しんだり
あるいは帰り道にお気に入りの曲をふと口ずさんだりと、
「歌」は、案外僕達の身近にあります。
「自分が大好きな曲を思うまま声に出したい」
「このフレーズのエモさを歌いながら感じたい」
「歌うのは気持ちいい」
僕達は歌う事で、
こうした自分の欲求を満たしているのでしょう。
そして、
ただ声に出して歌う事だけではなく、
どんな楽器の演奏でも、
歌う事をとても大事にしています。
もしかするとその理由は、
ただ金属的な音を出して演奏したり、
譜面に書いてある事をそのまま演奏したり、
コンピューターのような正確性だけを演奏に求めているのでは無く、
もっとシンプルに、
「歌う」という事が気持ちが良く、
自分の好きな楽器で歌うように演奏する事が、
演奏者にとって「演奏する楽しみの1つ」だからかもしれません。
もちろん、
「表現する」という意味でも
音に情感を込めるために「歌う」という事は事は大切です。
いずれにせよ
「歌」は僕達にとって大切なもので、
「歌う」事は心地良さをもたらしてくれます。
だけど時に、
自分の演奏が人からどう思われるのか気になりだしたり、
自分の拙さが恥ずかしくなったりして、
「歌うように演奏する以前に、もっと基礎を身に付けなくちゃ。」
「もっと自然に音が出せるようにならなくちゃ。」
こんな風に考えて、
歌う事を諦めてしまっている事は無いでしょうか?
人と自分を比べてしまう事も、
自分に自信が無くなる事も時にはあるでしょう。
だけど、歌う事に何の遠慮もいらないのです。
今の自分がどんなレベルであっても、
どれだけ人と比べて自分が下手だと感じても、
いつだって僕らは、
好きなように歌い、
好きなように表現し、
好きなように「歌う」事を楽しんでも良いんです。
歌を歌いたいと思うきっかけは、
誰かの為ではなく、
もっとシンプルに「自分が楽しいから」だったと思います。
「自分が好きな事をする」というのは、
日々を楽しいものにしていくために大切な事だし、
「楽しさや感動を味わう」事は
僕らにとって生きる喜びにもなっているからこそ、
「自分が楽しい」と思える事をするのは大事なんです。
だから好きな事をするのに遠慮する必要はありません。
自分の心を満たすために、
歌う事や楽器を演奏するという行為が関わってくるのなら、
ただ自分の為だけに歌ったって良いのではないでしょうか?
それに、歌う事は誰も傷つけません
それどころか、
あなたの歌で励まされたり癒されたりしている人がどこかに居るかもしれません。
自分にとっても楽しい事で、
誰かにとっても「良いもの」になり得る可能性があるのだったら、
なおさら歌う事を遠慮する必要は無いと僕は思います。
ただ、
人は「楽しい」という感情も感じれば、
「恐れ」という感情も持つ生き物です。
「暗いところが怖くて歩けなくなる」
「ジェットコースターが怖くて乗れない」
こうした事と同様に、
・人から自分の演奏がどう思われれるか怖いから
・失敗するのが怖いから
だから演奏する事に恐れを感じてしまう場合もあります。
人前で演奏するというのは、
それまでの自分の集大成を表に出すようなもので、
「自分の頑張りやこれまでの事を失敗して人から笑われてしまうかもしれない」
「価値が無い事だったと思われるかもしれない」
こんな風に考えたら、
演奏したり、歌で自分を表現する事が恐くなってくるのも仕方ありません。
しかしそれは、
ただの「思い込み」でしかないのかもしれません
例えば、
「失敗する事」を例にすると、
「失敗したら皆から笑われる」とか
「失敗したら信頼を失い、もう一緒に演奏してもらえない」とか
こうした「恐れ」は
まさしく自分の思い込みから生まれるものだし、
もし本当に心無い人がこちらを笑ってきたとしても
そういう人達とは距離を置けばいいだけです。
その人達の笑いを真に受ける必要はありません。
「失敗してはいけない」というのも、
「実際、失敗する事の何がいけない事なのか?」という問いを考えてみれば、
よくよく考えてみれば明確な答えを持たないまま
ただ失敗する事だけを恐れていただけだったに気が付きます。
「失敗する自分が許せない」と感じる事も、
自分の中に理由の無い「完璧主義」が
いつの間にか育っていた事が原因である場合があります。
完璧である事が必要か自分に問いかけてみれば、
完璧である事が本当に自分にとって必要で、大切な事なのか?
答えが出せると思います。
また、
「人からどう思われるか怖い」と感じる事についてですが、
自分が人に対して心の中でどう思おうと、
それがその人に影響を与える事は無いのと同時に、
人が自分に対して心の中でどう思っていようと、
それを覗き見る力は無いし、
何を考えているのか分からないのだから、
それは考えてもしょうがないし、
コントロールできるものではありません。
自分にコントロール出来ないものを
コントロールするのを止めるだけでも、
演奏する時や歌う時に、
心も体も自由になっていくことが出来ます。
だから僕は、
好きな事・やりたい事は
遠慮せずにやるべきだと思っていますが、
同時に、
やりたい事があっても
今は「恐れ」の方が勝っているなら、
無理に始める必要は無いとも思います。
人は矛盾する生き物です。
理想の自分に変わりたいと思う一方で、
同時に今の生活を変えたくないとも願っています。
例えば、
人前で演奏する事や歌う事が好きだったとして、
だけどその人の個性として、
物事や人の言葉をネガティブに捉えがちなので、
人前に出るのが怖いと考える場合もあります。
恐れが芽生える原因は
自分自身にあるという事も言いましたが、
実際に恐れを感じている事実を無視し、
無理に勇気を持つ必要はありません。
人には、自分自身のために
自分のやりたい事や楽しめる事をやっていく権利と同時に、
「やらない」という権利もあります。
それはどちらも自由に選択できるんですね。
ただ、
どんな選択をしても「葛藤」は生まれます。
「歌うのが好きだから、人前で自分の演奏を披露したいからやってみよう」
と選択しても、
心のどこかに「人が自分の演奏を聴いてどう思うだろう…?」と不安は残るかもしれないし、
演奏する事が好きだけど、
どう思われるか不安だからやめる選択をしたら
「好きなことが出来ない鬱憤」が溜まるかもしれません。
・どちらかを選べば思い悩む必要は無くなる。不安に陥らなくて済む。
なんて事は、残念ながら無いんですね。
だから僕は、
葛藤を乗り越え行動を選択する【意志】を自分の中に持つ事が大事だと思うし、
その意思が生まれてから、
やりたい事をやってみれば良いと思うんです。
歌う事が好きならば、
演奏する事が好きならば、
不安や恐れを無くすことじゃなく、
不安や恐れをを感じつつも
その感情と共に、それでもやりたい方を選んでみる。
そうすれば、
それが自分にとって本当に大切な事か?
それをやる事が自らの幸福になっているのか?
自覚できるようになってきます。
これまでの自分を振り返ったり、
これからの自分を想像してみながら、
自分がこれからどうなっていきたいか?
どんな生き方や在り方を目指したいのか?等を考えてみると、
本当に「それ」が自分は好きで、
どうしてもやりたいのだと思えるものならば、
自然と【意志】は生まれてきます。
意志があってこそ、
初めて不安や恐怖を受け入れながら、
人は好きな事を思うように探求していけるんです、
だから、よくよく考えた結果、
もし歌を歌ったり、楽器を演奏したり、
人前で演奏する事、表現する事が自分にとって大切な事だと思うのなら、
やりたいという意志を持てるものなのなら、
「やりたいこと」をやるのに、一切の遠慮はいりません。
やりたい事が自分を幸せにし、
誰かの幸せに繋がっていくかもしれないのですから。
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