もう一度管楽器が好きになる!管楽器インストラクターの竹内慶貴です。
こんばんは。
今日のお話は、演奏上でミスが起きた時、自分を必要以上に責めてしまう。。
そんなマジメで責任感の強い人にこそ知ってほしい、たった1つの事です。
例えば演奏中に緊張して、思った演奏が出来ず舞台から降りた後
「お客さんががっかりしてしまった・・・。」と思ったり。
何か大曲のソロで音を外してしまった時、
「もうこれでメンバーから信頼されなくなってしまった」と感じて、
ひどくなると、「こんなミスをした自分は、ここにいては迷惑になる」と
楽団を辞めなければと感じたり。
終演後、誰かからほめ言葉をいただいても
「いや、きっとこれはお世辞で、ホントはだめだったんだ。
この人が気を遣ってくれているんだ。」
と受け取ってしまったり
程度はあれど、こんなふうに演奏で何かミスが起きた時
自分を責め続けてしまうという人に、
今日はこれだけは知っておいてもらいたいのです。
責める代わりに「事実だけを受け取る」
これだけです。
実は、最初に例に挙げたものの3つには、共通点があるのです。
それは
「こう思われている」と本人が考えている点です。
実際にそういうことを言われたわけでも、聞いたわけでもない。
ただ本人が「きっとこう思っているんだ」と考えている、
いってしまえば空想なのです。
空想は空想、現実に起きている事じゃありませんよね。
それで自分を責める必要はないのです。
起きている事実だけをただ受け入れるというのは、
誰かから言われた言葉もただ受け取るだけ。
誰かが褒めてくれたのなら、
その人が褒めるほど満足してくれたのが事実で、ただそれを受け取るだけ。
それをもらえた自分の演奏を誇っていいのです。
誰かが批判やアドバイスをくれるなら、
その人はそう感じたというのが事実で、ただそれだけ。
それを次の演奏に活かしても良いし
自分の為にはならないと無視するのも、自分で決めていいんです。
そして最後に、キツイ言い方になりますが
こういう風に事実を受け入れず、捻じ曲げて受け入れてしまうのは
結局自分の事のみしか考えていないことになります。
いくら「次の演奏に満足してもらうため」とか「次をより良い演奏会にするため」
という人のために思える理由があろうとも
「自分が納得いかないから、事実を受け入れない」
という隠された感情が裏側にあるのです。
こと演奏という自分だけじゃない、他の誰かがいる場所では、
どこかで自分以外の人の事を考える必要があります。
音楽でコミュニケーションしているからこそ、
相手を意識すること、自分も相手も大事にすることが必要になるのです。
そのために、自分が納得する、しない以上に、
ただ自分も周りの人も大事にして
そしてその結果起きた事を、ただ事実として受け入れてあげることが大事です。
事実は事実。それは誰も責める理由になりません。
もしあなたが、自分を責め続けてしまうつらさを抱えているなら
事実をただ受け取る、これをまず試してみてください。
それでは!
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