「完璧主義」から抜け出す時

完璧に演奏したい、何一つミスなく演奏したい。
僕達はこんな風に音を外したり、ミスする事を嫌う一方で、
「完璧なるもの」に憧れる気持ちもまたありますよね。

なぜ僕達は完璧なるものに憧れを抱くのか?

それはきっと
【何かに感動した経験】があるからだと思います。

 

 

例えば

・想像を絶するような自然の風景を見た時
・自分にとっては非の打ちどころのない芸術や音楽に触れた時
・今まで味わった事の無い美味なる食事に出会えた時。

僕はこうしたものに触れ、何か満たされたような感情を抱いた瞬間に「完璧さ」を感じる事があります。

 

人によって何に感動したり、何を完璧と感じるかはもちろん違いますが、

【美しいもの、心が震えるもの】に出会い、
心がこれ以上ないくらい感動して満たされ続ける時間。

こうした出会いがあると、人は時を忘れ「それのみ」に集中するようになります。

世界に自分と【完璧なるもの】しかないと感じるから、「完璧」という言葉が出てくるのかもしれませんね。

 

 

僕達は演奏者です。
演奏者という事は【表現者】でもあります。

表現者は音で、筆で、あるいは身体で自分の感じる何かを表現しようと試みるし、
「自分の音で、あるいは作品で心が満たされ、それのみに夢中になって欲しい。」そんな想いから、発信する内容も「完璧」でありたいと願います。

 

だから表現者は【完璧主義】を抱くようになります。

僕達も、1つのミスも無く自分の想像通りの演奏をして
「完璧なる演奏」を自分の力で生み出したいと欲する事がありますよね。

 

確かに【完璧なるもの】を求める姿勢は、

過去の作品に満足しなかったり、
常により良いものを目指そうとし続けたり、
取り組んでいる事に対し真摯な態度であるように思えるかもしれません。

しかし、完璧であろうとする必要は無いんです。

 

完璧主義も度を越せば毒となります。

イメージ取りに演奏出来ない自分を責めたり、何があっても自分が悪いと思い込んだり、
ひどくなると「イメージ通りに演奏が出来ない自分など価値が無い」という様に自分の価値全てを貶め、否定してしまいます。

 

音楽が好きで音楽活動を続けているのに、
部活に入ったり、オケや吹奏楽に入団したのに、

ただイメージ通りの演奏が「完璧に」出来ないというだけで、

その他全て、自分自身の人柄や築いてきた友人関係、音楽以外でも得意な事や出来る事など、そういった価値さえも自分で否定してしまう。

 

それは良くないと僕は思うんです。

 

より良い演奏、より上手くなろうとする向上心は素晴らしいけど、それは自分自身を傷つけるための力ではありません。

「完璧であらねばならない」なんて誰からも強要されませんし、人に強要出来ることではありません。
完璧でなければいけない理由はありません。
そんな選択肢は無くてもOKなんです。

 

完璧であろうとするのではなく、

常により良い方向に向かう「成長」を目指しても良いのではないでしょうか?


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