もちろん、
納得のいく演奏が出来れば、
それはそれで、満足感が得られるし、
次の演奏への自信にもつながります。
でも、そうした
≪自分自身への技量・成果の満足感≫とは別に、
演奏会に関わった人達との、
つながりや絆の様なモノが感じられる感覚や、
来場したお客さんへの感謝や、
曲に対する感動。
「この楽団で、演奏出来て良かった」
「あの人達と共に、音楽を演奏出来て嬉しい」
といった感想を抱いたり。
僕はこれらを
「暖かい満足感」と感じているのですが、
こうしたものを感じる時には、
・相手に贈り物をする気持ち
・さまざまな存在への感謝の気持ち
この2つの気持ちがあって、
これが、自分の心に、
温かい満足感を生じさせていると思うんです。
「贈り物をする」というのは、
例えば、お世話になった人に、
なにかお礼の贈り物を送ろうとする時、
「その人は何をもらったら喜ぶだろう?」
なんて事を考えますよね?
それは見返りを求めての行為ではなく、
お世話になったお礼として。
あるいは、その人を喜ばせたいから。
そんな「気持ち」からの行いです。
人は、
誰かの役に立つような、
喜んでくれるような行いをすると、
心の中に、充実感が生まれます。
「聴いてくれる人が喜んでくれるような、
そんな演奏をしてみよう」
という風に考えてみると、
自分の技量や、演奏した結果に満足するだけでなく、
音楽で人を喜ばせ、人に活力を与える事も出来るし、
大げさに言えば、
演奏によって、人や社会に良い影響を及ぼせると思うんです。
この時、
「自分の演奏を、相手は喜んでくれるか?」なんて考える必要はありません。
なぜなら、
「相手が何を、どう喜ぶか?」なんていうのは
相手にしか分からず、
自分にはコントロールできない事だからです。
相手の聴きたい演奏や表現を
察しようとするのではなく、
自分が考えうる、
最も良い音、最も良い表現を、
出来る限りお客さんにプレゼントしてみる。
それで良いんですね。
「出来る限り」というのもミソです。
完璧である事に拘る必要はありません。
演奏するという「遊び」が楽しいから、
その「遊び」の中に、
お客さんを招待する気持ちでも良いし、
あなたが、放っておいても、
より良い音・より良い演奏を目指すタイプで、
プレッシャーをかける事が、
明らかに自分の為になっていないのなら、
無理に「完璧であろう」とプレッシャーを背負う必要はありません。
プレゼントする時や、
手作りのお菓子を作る時は、
相手に喜んで欲しいから、
出来る限り美味しくて、可愛かったり、綺麗な形に整えようとするけれど、
本当に大事なのは
・誰かに喜んでもらおうと行動する
その心ではないでしょうか?
もう1つ、お話ししたいのは、
「感謝する事」についてです。
「感謝する」とは、
一体、何に対してでしょう?
・来てくれたお客さんや、指導してくれる先生?
・演奏会を裏方で支えてくれた人々?
・曲を生み出してくれた作曲者や、自分が演奏する楽器を作ってくれた人達?
…もちろん、こういった人達に対して感謝する事も、大事ですよね。
演奏し甲斐が生まれるのだし、
先生方がいるから、演奏技術が上手くなったり、
演奏の方向性が分かってくるのだし、
会場を手配したり、集客を担当してくれる人が居るから、
演奏に集中する事も出来るのだし、
でも、もう一人。
感謝の気持ちをもっていい人物がいます。
それは、
≪これまで頑張ってきた自分自身≫に対して、です。
自分に感謝をするとは、
≪自分を認めてあげる事≫
という意味も持ちます。
これまでの自分が、
色々考えたり、悩んだりしながらも、
演奏会に向け練習を続け、
勇気を持って本番の舞台に立ち、
人前で演奏したからこそ、
暖かい満足感が生まれるんです。
何もしてこなければ
どんな感動も、味わう事は出来ません。
割と見落としがちなんですが、
自分自身が、行動をしてきたからこそ、
暖かい満足感という報酬を得ることが出来たんですね。
≪自分を認める≫という事は、
演奏というプレゼントを、
相手に送る勇気を生み出す事にもなります。
人間ですから、
自分のプレゼントを、
相手が受け取ってくれるかどうか?
不安になる気持ちも出てきますが、
それを乗り越える勇気を
自分の中から生み出す事も、
自分を認める効能の一つです。
贈り物をする気持ちで、
自分を含め、あらゆることに感謝しながら
演奏をしてみる。
やってみると、
今までと違った演奏会になるかもしれません。
ぜひ1度、お試しください。
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