TEDカンファレンスという、カナダ、バンクーバーで開かれる大規模な講習会があります。そこでは様々な分野でのアイデアが発表されており、日本でもNHKがスーパープレゼンテーションというタイトルで放映したり、TEDで検索してみると動画サイトに行けますので、ご覧になった方もおられるかもしれません。
その中で、心理学者のガイ・ウィンチ博士が語ったのが「感情の応急処置」です。
日本語訳もされているので、ぜひ1度見ていただきたいのですが、博士は講演の中で「体の怪我をすぐに応急処置するように、心の怪我もすぐに手当てをするべきだ」
と語っています。
孤独や失敗などで心が傷ついたとき、我々は一時の物だ、気のせいだ、それは心の持ちよう次第でどうにもなるetc…の理由で、その傷を軽視しがちです。
しかし、慢性的な孤独感は自身の身体に悪しく働き、長期的に自分の健康と寿命に悪影響を与えるという研究がありますし、失敗はケアをせずそのままにしておくと自分を萎縮させ、自分への批判という形をとって長く自分を苦しめます。
だから我々は心の傷を軽視せず、傷ついた時に応急処置をするべきで、その方法として、「2分間気を紛らわすため、何か別の事に集中する」という方法を博士は紹介しています。
この講演はTED動画サイトで、TEDおすすめのカテゴリーの中に入っているので、ぜひ1度見て見ることをオススメします!
さて、今回は心のケアを含めて「自分を労わる」ということについて考えてゆきたいと思います。
自分を労わるというのは、身体面もそうですが心の方も自分で面倒を見ることだと思います。
身体面で無理をしすぎると倒れてしまうように、心の方も無理をしていると「傷ついていることが当たり前」だと認識してしまうからです。
まだ身体の方は疲れや体の痛みが表面に出てくるので気づきやすいですが、心の方は普段自分の体の調子を観察していないと、身体に影響が来るまでなかなか気付きにくいところがあります。
とくに吹奏楽などの学校の部活や、音楽を勉強する人は「練習しなくちゃ」「吹かなくちゃ」「合奏に参加しなくちゃ」と、自分を追い込む思考が当たり前であるかのように生活してゆきます。
それをしないのは「ただの甘えだ」等の言葉をもとに、自分を追い込むことが正常、当たり前であると錯覚するのです
しかし、もしこういう考えに違和感があるなら、少し追い込むことを止めて考えてみてください。
追い込む考えを持っているとき、あなたの望みは何だったか思い出せますか?
そしてその望みは、自分を追い込むことで叶えられましたか?
追い込むというのは、いわばペースを上げる事です。マラソンの最後のゴールで勝利するために使うことは出来ますが、長期的に使うなら計画が必要です。
そして、無自覚の「追い込みは正しい、正常だ」は、人によっては深い傷を残します。
私たちは自分で選択できます。追い込みで望みがかなうなら良しですし、違ったら別の方法を選択できます。
追い込むことは唯一の正解ではないです。それ以外でも選択肢はあります。
たとえば、朝起きた時自分に「おはよう、どこか痛い所やつらい所はある?今日は何か頑張れそうかな?何でも選べるよ」と尋ねることができます。
頑張りたくなければ、自分を大切にしながら動こう。で良いのです。
また「今日は望みの為にどんなことが出来そうかな?」と問いかけもできます
失敗したとき、怒りに襲われたとき、自分を責めるでも、怒りを抑えようとするでもなく、すぐに自分に寄り添い、労わりながら慰めの言葉をかけるも出来ます。
経験を次に活かすための反省は後からできます。怒る、失敗する、その瞬間に反省によって自分を否定しなくても大丈夫です。むしろそれによってさらに落ち込み、傷つき、負の連鎖の始まりです。
傷を抉るようなことしたら治りが遅くなる人がいるのと一緒です。労わってあげて大丈夫です。
後から風呂に入ってる時にでも振り返って「次はこうしよう」でも十分次に活かせます。
自分の感情、心がどう動くかは、それを何かで伝えないか限りほかの誰かには見えないし分かりません。そして誰かの発した言葉は、発した人にその気がなくても聞いた人の心を抉ることはあります。
だからと言って全員が気を遣いあうのも、一時的なものです。ずっとは続きません。
だから、自分の受け止め方、労わり方はそれぞれが自分で選択していいのです。聞いた言葉の受け止め方も、落ち込んだ時の自分への接し方も、誰かに強いられることは何もありません。そして楽になることは何の罪でもありません。
もし記事を読まれている人の中に何か辛さや苦しさを感じている人がいたら、寝る前、朝起きた時、やりたい時にいつでも自分を労わってあげてみてください。そして、その時どんな反応したか、自分に尋ねてみてください。
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