ソーシャル⑧ 自分への承認 

【自分への承認】
承認欲求という言葉があります。人間は誰かから認められたいという欲を持っているという考え方です。
これはとても分かりやすいと思います。幼稚園や、小学校のころ、部活や勉強、課外活動とかで先生や親から認められたい、褒められたいと思うのは、誰しも経験がある事ではないでしょうか?それが、承認欲求というわけです。

で、この承認欲求、自分が自分を承認することで満たせはしないだろうかと最近考えることがあります。

学年が上がる、年を取るにつれ、今まで褒められていたことが、出来て当たり前というふうに思われ、誰かから褒められるという機会は少なくなってゆきます。
褒められるといった事が少なくなるとどうなるか?褒めてほしい相手がどうすれば気に入るか、どういう事をしたら喜ばれるかという事を考えだすようなるかと思います。

じつはこれ、危険といえるかもしれません。
なぜなら褒めるという権利を無条件に他人に渡しており、承認欲求が満たせるかどうかは他人次第で、言ってしまえばその人の気分次第でいつまでも認められない、褒められないという状況になこともあり得るためです。
その結果、自分の努力が足りない、人に認められるための行動が足りないと考えだしてしまうのです。認められない限りずっとそれが続くのだから、マイナスのスパイラルに陥ってしまいます。

で、自分が自分を承認してあげるのはどうかという提案が生まれるわけです。

この利点は、認めるための範囲を自分の好きに、いくらで大きくも小さくも出来るし、好きな時に、必要な時にすぐに認めてあげられるという事です。
「ほしいものあるから貯金100万円を目指す」という少し努力を必要とすることでも、「運動のために今日は隣の駅から歩いて帰ろう」でも。もちろん「美味しいものを食べたいから良い店を探そう!」でもOKなわけです。
なぜなら、全て「自分のしたいことに対して、どう行動したか」について、出来た行動を認めてあげられるからです。

もちろん、目標が大きいほど達成した時の承認感は大きくなりますが、ずっとそればかりというのもつらいので、自分の出来た小さな事や、大きな目標に向かう途中の事でもほめてあげたり、認めてあげたりすることも出来ます。

自分の行いに対して、それが良いものであると何かに認められることが、承認欲求の肝なのかなと思うので、自分の望んだことに対して、出来た行動をそれがどんなに大きくとも小さくとも自分が認めてあげるのもまた、承認欲求に通じるのではないかなと思います

人生の幼少期、初めて体験した認められるという経験が大きく心地よいものだからこそ、承認欲求は生まれます。そして、その大きく心地よいものをずっと追いかけたくなるから、年を取るにつれて認められるために自分や他人に求めることも大きくなってゆくのです。
ですが、それを他人に任せてはいつまでも認められないかもしれない。だからこそ、自分が自分の出来た事、目標に向かって、その途中の段階でも実行に移せたことを、それが大きいものでなくとも、小さな満足感であっても自分が認めてあげるのもアリなのです。

その積み重ねが、やがて到達したい大きな目的につながることもあるのではないでしょうか?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です