「誰か」は自分のサポート

 

皆さんには誰かの話を聞いてみたり、ワークショップに参加してみた時、ワクワクしたり、新しいアイデアが浮かんだりしたことがありますか?

たとえば僕の場合、

もっと吹けるようになりたい、望む音楽ができるようになりたいという望みについて

アレクサンダーテクニークが自分本来の体の使い方をを思い出させてくれたり、望みの音に対して演奏中どうアプローチしていくかを提案してくれたりしてくれますし、フリーランスとしてもっと仕事をやってみたい、という望みに対しては、フリーランスの仕事を生み出すメソッドを伝えることをビジネスにしている方から、まだ業界で手付かずの部分から仕事を作り出していくやり方を教えてもらいました。

 

 

 

こういう風に、自分の望みについて、自分の考えだけじゃなく誰かの経験や思考を話してもらう、体験させてもらうことで自分の望みにとって新しいひらめきを与えてくれたり、支えになってくれる場合があります。

 

 

そういう時の「誰か」は自分にとってサポートになってくれます。

 

 

 

 

 

 

ただし、誰かの意見を望みのサポートとして受け取る場合、少し必要なことがあります。

 

 

 

1・お互いの尊重がある。

 

尊重というと重い感じですが、つまりあなたも私も

 

「自分の言葉を相手への攻撃に使わない」

 

ということです。

 

 

 

自分では思いつかなかったことを言われたりする時、疑問が発生しますし、それを相手に尋ねようとします。それはアリです。なんたって初めての事は分からないことだらけですし。

ただ、その時にお互いが自分に正当性があると思って話を続けていくと、そのうち戦いになってしまいます。

 

 

だから聞く方は、自分にプラスになる、ワクワクできる、共感できることを受け取ればいいですし

話す方は疑問に対して相手の望む答えではなく、自分の経験や考えからプラスになりそうな事、有益になりそうな事を話せばいいと思います。

答えられないものや、わからないことはただそう伝えればいいと思います。

 

 

お互い相手の考えや人生を読み取ったり、操作するのはできないのですから、自分のできることをただするだけでいいのです。相手をコントロールしようとしなくていいのです。

 

これが必要なこと

 

2・自分の受け取ることは自分が選んでいい

 

3・自分のコントロールが効かない範囲の事はコントロールしなくていい

 

 

です。

 

 

 

 

 

 

 

そして2・自分の受け取ることは自分が選んでいいについて、もう少し考えてみた事があります。

 

 

僕は中高時代の部活や、大学時代のアルバイトの中で叱ったり、叱られたりという経験もしてきました。

叱っているときには「こうしたほうがもっと良くなる」という思いから、叱られているときにも、叱ってくれた方々はそういう考えで言葉をかけてくださったのだと思います。

 

 

ただ、このとき言われた言葉の中身を穿って自分自身を傷つけるものとしてとらえ、傷つけることが反省であると思う場合があります、僕もそうです。

 

言う方にはそんな意図はないのに、そう言葉を捉える。それは現実的では無いし、エネルギーを自分を傷つけるほうに働かせてしまいます。それではつらいです。

 

 

 

 

だからこそ自分が自分に必要な言葉を選び取れる権利を許してあげればいいと思います。

 

 

 

 

誰かに自分の存在を傷つけるような権利は無いし、現実にそんな力もありませんが、言葉によって良くも悪くも自分は自分に対して影響をあたえます。

 

 

 

だから、自分にいう言葉は、自分がとらえる言葉は自分で選んでみましょう。

自分が「こうしたい、こうなりたい」という望みについて、誰かのいう事をきかねばならない、聞き続けなくてはいけないという事はありません。

今この時や明日、1年後で選択した言葉が違ってもいいのです。違うものを選んでもいいのです。

 

 

 

その時その時の自分を大切にして、自分に対して言葉を選んであげてください。

 

 

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